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2011年03月24日木曜日

澤地久枝さんの言葉

 「夏の暑いころです。家に帰れるのは夜11時、銭湯は7時まででした。貧乏だったから洋服も母の手作りのワンピース1着、着たきりなわけ。汗くさくてね。みじめだったな。でもこれが編集者として一本立ちした最初でした。」
 「今も思い出すのが月1回の編集会議。企画プランを出すのですが、その順番が社歴が浅い人から。私は経理部にいた分があるから最後のほうで、雑談で口にしていたプランを先に言われてしまったりしてね。会社を辞めて10年ぐらいは編集会議前夜の夢を見ました。」
 3月22日付の朝日新聞・夕刊「人生の贈りもの・連載5」に登場しました澤地久枝さんの言葉です。
 中央公論社にお勤めになられていた時のことを述べられているのですが、会社を辞めても10年程は編集会議前夜の夢を見た、というお話に、相当に大変だったのだろうなと会議の様子が想像され、心に残りました。
 3月24日付「連載7」の顔写真の横に書かれた「80歳まで生きてみると、すべてのことがみんな、よかった」という言葉をみて、人生の荒波を乗り越えてこられた澤地さんの姿に、心からの拍手を送りたいと思いました。

wrote by m-hamada : 2011年03月24日 20:17