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2013年10月12日土曜日

江戸時代の歌に庶民の心を思う

 「田や沼や 濁(にご)れる御代(みよ)を あらためて 清く澄ませ 白河の水」
 「白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」

 どちらも江戸時代の歌ですが、前者の「」清く澄ませ」の歌は1787年、松平定信が田沼意次(おきつぐ)の後を受けて老中首座となり、寛政の改革を始めたころに詠まれた歌。後者の「もとの濁りの田沼恋しき」の歌は、改革が始まってしばらくしてから流行った歌とのことです。
 10月12日付け読売新聞・夕刊の「発見 日本の偉人たち」で紹介されていました。

 「清く澄ませ」の歌には、賄賂(わいろ)などの汚職によって濁ってしまった田沼の政治が、松平定信によって一新されるのではないか、と期待する民衆の気持ちが表れているという。白河は白河藩主だった定信を意味しているようです。
 それに対して、「もとの濁りの田沼恋しき」の歌は、質素倹約が勧められ、芝居のような娯楽まで制限されてしまったことから、民衆があまりに清らかな政治に息苦しさを感じ、不正もあったが田沼政治の方が暮らしやすかったのではと懐かしんでいる気持ちが表れていると。
 興味深く読みましたが、当時の人々は困惑したのだろうなと思いました。

 時代も場所も全く異なりますが、「アラブの春」と言われた民主化運動の流れにも似ていると感じました。
 2011年2月11日、エジプトで30年続いたムバーラク大統領が退陣し市民が喜んでいた様子と、その2年後の2013年7月3日、選挙で選ばれたムルスィー大統領が1年余りで解任となってしまったという様子です。
 改革と安定の難しさという点で、両者に通じるものがあるように感じたからです。

 歴史を学び、歴史に学ぶ。歴史を大切にする姿勢を持ち続けたいものと思いました。

 

wrote by m-hamada : 2013年10月12日 18:39