2020年10月10日土曜日

浜田まさとしのプロフィール

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メールアドレス hamada@komei-kawasaki.com

電話  044-200-3361
FAX  044-245-4137
議会  〒210-8577 川崎区宮本町1


■ プロフィール
生 年 月 日 : 1962(昭和37)年3月生まれ (寅年) 
出 身 地 :川崎市川崎区浜町 
好きな食べ物 :納豆、天ぷら、豆腐、ラーメン、餃子 
好きなスポーツ:野球、サッカー、ボクシング 
好きな作家:宮本輝、司馬遼太郎、佐々木譲、船戸与一、出久根達郎 
好きな言葉:「一生懸命」「熟慮断行」
    「疾風(しっぷう)に勁草(けいそう)を知る」
      後漢書(ごかんじょ 中国後漢朝について
      書かれた歴史書)に登場する言葉。
    「善を行ふに勇なれ」
      小泉信三(こいずみ・しんぞう 1888
      (明治21)年~1966(昭和41)年)が
      慶應義塾大学塾長(第7代)を務めていた
      時期(1933(昭和8)~1947(昭和22)年)の
      1940(昭和15)年10月に示した『塾長訓示』
      にある言葉。小泉信三塾長はこの塾長訓示
      を印刷し、全塾生に常時携帯させていた。
      (小泉信三塾長の父は、小泉信吉(こいず
       み・のぶきち)で、第2代慶應義塾塾長
       (1887(明治20)年~1890(明治23)年)や
       横浜正金銀行支配人などを歴任された)
    「義を見てせざるは勇無きなり」
      新渡戸稲造の『武士道』に登場
      孔子の言葉 『論語・為政』
      ※新渡戸稲造(1862年9月1日(文久2年8月
       8日)~1933(昭和8)年10月15日)は農学
       者・教育者であり、国際連盟事務次長。
       著書『武士道』は、英文でも書かれた
       (Bushido: The Soul of Japan)。
趣 味 : 読書、スポーツ観戦(野球、サッカー、
      ボクシング)、映画鑑賞 
家 族 : 妻と二男一女 

■ 学歴
1974(昭和49)年 川崎市立大島小学校 卒業
1977(昭和52)年 川崎市立臨港中学校 卒業
1980(昭和55)年 神奈川県立多摩高校 卒業
1981(昭和56)年 慶応義塾大学商学部 入学
1985(昭和60)年 慶応義塾大学商学部 卒業

■ 職歴・経歴
1985(昭和60)年 日本アイ・ビー・エム(株) 入社 
1989(平成 元)年 市川雄一衆議院議員秘書 
2002(平成14)年 公明党川崎支部副支部長
2003(平成15)年 川崎市議会議員 初当選(6,759票)
      市議会・市民委員会委員
      東小田小学校・竹の葉会(PTA・OB会)顧問
      公明党川崎第3支部支部長
      公明党神奈川県本部青年局次長
2004(平成16)年 市議会・健康福祉委員会委員 
2005(平成17)年 市議会・まちづくり委員会委員 
2006(平成18)年 市議会・環境委員会委員 
2007(平成19)年 2期目当選(7,381票)
      市議会・総務委員会委員
      公明党神奈川県本部遊説局次長
2008(平成20)年 市議会・環境委員会委員長
         (副委員長は宮原春夫議員)
      財団法人かながわ廃棄物処理事業団評議員
2009(平成21)年 市議会・市民委員会副委員長
         (委員長は堀添 健 議員)
      川崎市青少年問題協議会委員
      慶應義塾市議会議員連盟副会長
       ※この議員連盟は、平成13年に慶應義塾
        出身の市議会議員18名で作った超党派
        の会。総会・研修などを通して交流を
        深めている。
       川崎市日韓親善協会顧問(12月)
2010(平成22)年 市議会・まちづくり委員会委員
      県立多摩高校野球部OB会副会長
      慶応義塾全国議員連盟副会長
       ※慶應義塾市議会議員連盟から名称
        変更したもの
2011(平成23)年 ミカド天風総連合会顧問
      3期目当選(8,486票)
      市議会・健康福祉委員会委員長
      (副委員長は大庭裕子議員) 
      財団法人 川崎・横浜公害保健センター評議員
      社会福祉法人川崎市社会福祉協議会理事 
      神奈川県共同募金会川崎市支会連合会委員
      川崎港港湾審議会委員
      川崎市交通安全対策協議会委員
      公明党川崎第2支部支部長
      公明党神奈川県本部組織局次長
      公明党川崎市議会議員団政策調査会
       副会長(政策調査委員会委員長)
      川崎区選出議員団会議幹事
2012(平成24)年 市議会・環境委員会委員
      市議会・議会運営検討協議会委員
2013(平成25)年 市議会・市民委員会委員
      川崎市都市計画審議会委員
      川崎区選出議員団会議代表幹事
2014(平成26)年 市議会・環境委員会委員
      川崎市農業委員会委員
      川崎区民生委員児童委員推薦区会委員
2015(平成27)年 4期目当選(8,183票)
      市議会・まちづくり委員会委員
      市議会・議会改革検討委員会委員
2016(平成28)年 市議会・総務委員会委員長
         (副委員長は青木功雄議員)
      公明党神奈川県本部幹事長代理
      公明党神奈川県本部議会活動委員会委員長
2017(平成29)年 市議会・健康福祉委員会委員
      川崎市社会福祉審議会委員
      公明党川崎市議会議員団政策調査会会長
      市議会・総務委員会委員(2018年1月~)
2018(平成30)年 市議会・環境委員会委員
      神奈川県内広域水道企業団議会議員
      (議会運営委員会委員長)
2019(平成31・令和元)年 5期目当選(7,927票)
      市議会・まちづくり委員会委員
      市議会・議会運営委員会委員
      市議会・大都市税財政制度調査特別委員会
       副委員長(委員長は青木功雄議員)
      神奈川県後期高齢者医療広域連合議会議員
      (議会運営委員会委員)
      川崎市港湾振興議員連盟・会計
      公明党川崎市議会議員団副団長
2020(令和2)年 市議会・健康福祉委員会委員
2021(令和3)年 市議会・総務委員会委員
      市議会・議会運営委員会副委員長
      (委員長は原 典之議員)
2022(令和4)年 市議会・まちづくり委員会委員
      川崎港港湾審議会委員
           
 

wrote by m-hamada メイン: 13:35

2013年01月09日水曜日

浜田まさとし通信(浜田まさとし励ます会発行)第1号より

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浜田まさとし突撃インタビュー
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大島小学校の卒業ですが、どんな子供でしたか?
 大島小学校での6年間は思い出深いですね。
 元気いっぱいな先生がいて、ラジオ体操の時にウルトラマンのまねが入り、みんなで笑ったことを覚えています。熱心な音楽の先生のお話や体育でドッジボールをしたこと、苦手な社会の授業でほめられて恥ずかしかったことなど、今でも時折思い出します。
 熱中するタイプの子どもだったと思います。家が浜町商店街で食堂をしていたのですが、毎日のように夜9時頃になると店の片づけを手伝い、 両親をせかしてはトランプや将棋をしてもらいました。

臨港中学校の思い出は?
 授業の半分が精神論で、生徒にやたらと気合いを入れる先生がいました。強烈な個性の先生で、大きな触発を受けました。また、国語の先生も落語研究会出身の個性的な方で、授業の脱線話が面白かったことを覚えています。
 バスケットボール部に入っていました。なかなか勝てなかったので、初勝利の試合をよーく覚えています。みんなでワッと歓声を上げました。
 同級生には元気があり余っているような人が多かったと思います。

高校では野球をやっていたそうですが?
 ハイ! 高校生活の半分は野球でした。
 ほとんど休みナシで、激しくキツイ練習の毎日でした。炎天下でのダッシュ、雨の日の階段上り下り、冬のランニング、今でもなつかしい映像が頭によみがえって来ます。
 公式戦で、前年度に全国優勝した横浜高校と対戦した事がありました。結果はコールド負けでしたが、最後の回に甲子園の優勝投手が登板してきて、運良く私も対決できました。ストレートの連投でファウルでねばったというか、かろうじてファウルにしていたのですが、 最後にカーブを投げられて三振。ベンチに帰った時に、冗談が上手い同級生から「甲子園の優勝投手がカーブを投げるのはずるいよな」と言われ、笑ってしまったのを覚えています。
 高校の3年間は何ものにも代えられない大切な思い出で、今でも自分自身を励まし続けてくれます。

平成元年から市川雄一衆議院議院の秘書になりましたね?
 そうなんです。秘書として13年半働かせていただきました。
 市川さんからは実の父親と同じように厳しくも温かく指導・訓練していただき、 感謝しています。ものの見方や考え方が鋭く、指摘も的確で切れ味抜群、指導の仕方も芸術的でした。いつも緊張感がありましたね。

市川さんの言葉で印象に残っているのは?
 ある人の結婚式のスピーチで、「断じて幸せな家庭を」と力強くおっしゃったのが忘れられません。幸せな家庭を築こうという強い決意が大切なのだなあと思いました。
 私自身に対しては、13年間一度も仕事を休まなかったので、「体が丈夫だな」と言われた事があります。 カミソリと異名をとる市川さんから頭脳でほめられたのなら自慢できるのですが…(笑い)。
 これからも元気印でがんばっていきます。

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街の声
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追分町 杉本さん(70歳)
「臨港中学校卒業で初めての議員挑戦ということで、PTAに関わってきた一人としてうれしい限りです。ぜひ頑張ってほしい」

主婦N・Mさん
「いま政治が信頼を失っているので、現状打破へ向けた目の覚める様なシュートに期待します」

wrote by m-hamada メイン: 13:46