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2008年12月15日月曜日

作家・なかにし礼さんの言葉

 「善なる魂だけでは歌に魅力が出ない。人間は善も悪も含めた存在だから、善という半面だけを書いた歌をヒットさせたいと思うのはおこがましい。善も悪も兼ね合わせる人間に語りかけるためには、歌の書き手も、善も悪も兼ね備えて語りかけないと、お互いの言葉は通じやしない」。毎日新聞12月15日付夕刊で紹介されていて、興味深く読んだ。
 アンデルセン童話の「赤い靴」という話を引用している。靴屋の息子だったアンデルセンは、店を訪れて足の採寸をする裕福な家庭の女の子をいまいましく思っていた。「おれが作った靴を一度履いたら、死ぬまで一生踊り続けなければならない靴を作ってやる」。アンデルセンはこんな人間の毒々しい思いを持って「赤い靴」を書き上げた。のろいをかけられた赤い靴は昼夜を問わず踊り続け、女の子は靴が脱げずに足を切り落とすという内容の話。
 なかにしさんは、「僕も同じだった」と言う。「その歌手が一生歌い続けなければならない歌を書いてやろうと思ったわけ。その歌手の代表作にならない歌だったら書かない、とかね。そんな邪悪さがないと僕の中の黒い情念が燃えなかった。黒い情念が燃えないと、きれいごとの歌ができる。きれいごとの歌はみんな一時は『いい歌だ』とほめてくれるけど、情念のパワーがないから長く歌い継がれることはない。歌を書くことには、そんな大原則がある」
 言葉の力、情念のパワーについて考えさせられた。

wrote by m-hamada : 2008年12月15日 13:28