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2010年01月25日月曜日

岡崎久彦著『戦略的思考とは何か』に登場する言葉

 「チャーチルの回顧録によれば、ルーズヴェルトが無条件降伏を主張するのに対して、チャーチルはそれでは犠牲が大きすぎるから、日本の軍の名誉を重んじた解決をしたらどうかと言いますが、それに対して、ルーズヴェルトは、『真珠湾を攻撃した以上(だまし討ちをした以上)日本には失うべき名誉は残されていない』と答えたとあります。もう一つ蛇足を加えると、スターリンは、『無条件降伏などとはじめから言わずに、降伏させさえすれば、あとは思うとおりにできるではないか』と言った由です。三人三様で、信長と秀吉と家康のほととぎすの話のようです。」(P90)
 「まさに、半世紀後ドゴールが、アメリカという国は天下の大事に、幼稚な感情と複雑な内政事情をもちこむと、喝破したとおりです。
 こういう点については米国の中でも反省はあります。ケナンは『アメリカン・ディプロマシー』の中で、右のような事実関係を全部認めたうえで、『米国の政治家は、道徳的な原則を、それが実際上非現実的なものであっても、無責任に打ち出す。その結果言われた方は困るのだが、もし言うことをきかないと国際世論の中で恥をかかせるようにさせ、他面、言うことをきいた国にとって、その結果問題が生じても、それはその国が解決すべきこととして助ける気はまったくない。こうやって、中国大陸における日本の地位を、単なる道徳的な信念から、毎年毎年やっつけてきたが、その間、日本や中国の内情、日本の力が極東のバランス・オブ・パワーに及ぼす影響など、実際の問題を考えることはほとんどなかった。日本の挫折感が軍国主義に走らせることにも関心がなかった……』等と述べ、すでに1935年のマクマレーという人が『日本を除去しても日本のかわりに帝政ロシアの後継者たるソ連が入ってくるだけで、得をするのはロシアだけだろう』と指摘したのを引用して、対日戦争の目的は達したが、その結果、日本の問題をアメリカが全部引き受けてしまったと述べています。そして、極東の国際政治の力の要素をもう少し考慮すれば真珠湾を避けえたかもしれない、と述べています。
 私は、ケナンの分析は全部正確であると思います。ただ、これはアメリカで権力政治のわかる例外的に少数の人の発言でありまして、アメリカの民主政治が実際にこのようなコースをとりえたものとはとうてい思えません。ということは、アメリカが片手にモラリズムをふりかざして、片手は国内政治に操られて動く国だということを既定の事実として受け入れて、そのうえで日本の政策をつくらざるをえなかったということです。もっと端的にいえば、日本はアメリカより弱いのだから、強い者の出方を観察して、それに合わせて政策をつくるほかはないということです。過去何世紀も、アングロ・サクソン世界外の国の存亡は、アングロ・サクソン勢力の出方のヨミをいかに正確に行うかに、かかっています。」(P106~107)
 「第二次大戦で米国が戦争目的を達したならば、得をするのはロシアだろうということは、すでに述べたように、少なくともアジアについては、戦争前から予言されていました。
 はたして第二次大戦は、ソ連にとって大変に幸運な戦争になりました。
 ソ連が理も非もなく強引にバルト三国を滅ぼして併合し、続いてフィンランドに侵入したころは、米、英、仏などの西欧民主主義国の世論の中では、ソ連が最大の悪玉でした。英雄的な抗戦を続けるフィンランドへの国際的同情は翕然(きゅうぜん ※多くのものが集まって一つになるさま。一致するさま)として集り、ソ連は国際連盟から除名されます。英仏の対ソ戦争開始はもう決定されていて、もしフィンランドの降伏がもう十日遅ければ英仏はソ連と戦争に入っていたはずです。
 ところが、その後ドイツに攻撃されたおかげで、一転して、世界最強のアングロ・サクソン世界の同盟国にしてもらって、アメリカの潤沢な武器援助で戦うことができました。しかも攻撃はドイツ側から始められ、当初はさんざん痛めつけられたために、自衛戦争という錦の御旗までもらいます。ナチスに攻められたソ連の悲惨も、ソ連に攻められたポーランドや、バルト三国や、フィンランドの悲惨も同じことですが、歴史のめぐり合せで、ソ連は第二次世界大戦を英雄的戦争と呼び、社会主義を平和愛好勢力と呼ぶことができるおまけまでつきます。」(P136~137)
 外交の最前線で繰り広げられる死闘のような様子を、手に取るように分析してみせる明晰な頭脳と、洞察力のすごさを感じました。

wrote by m-hamada : 2010年01月25日 19:23