« 作家 村上政彦さんの『古典に学ぶ』より | メイン | 聖徳太子の「十七条の憲法」の第一条 »

2010年08月01日日曜日

月刊誌『世界』8月号掲載論文の言葉

 「『悪魔の力』との関係について言えば、一見いくら早道のように見えても、大きな悪魔が出る道は選ばないということであろう。それでも政治に関わる限り、行く先々で様々なかたちで悪魔の力にまみえることになるであろう。そうした場合は、その都度マメにこれを制し、封じ、できうる限りは退治していくことが望ましい。」
 「どんな小さな悪魔でも、これを御し切れるという甘い見通しを抱いてはならない。ましてや大きな悪魔の力を呼び起こして何かを達成してやろうといった恐ろしいことは決して考えないように。行為者はどんな目的のためであれ暴力という手段に触れた途端『この手段特有の結果』(マックス・ウェーバー『職業としての政治』の言葉)にさらされる。」(ともに『世界』8月号の豊永郁子(とよながいくこ)さんの論文より)
 著者は、マックス・ウェーバーの「悪魔の力は情け容赦ないものである。もし行為者にこれが見抜けないなら、その行為だけでなく、内面的には行為者自身の上にも、当人を無惨に滅ぼしてしまうような結果を招いてしまう」という言葉も引きながら、「ゆめゆめ悪魔に魂をとられることのないように」と述べています。
 論文の中で政治家のことが書かれた部分については、評価が正しくないのではないかと感じるところも多くありましたが、一般的な話として、何か大きな力を利用して何かを達成しようと考えるべきではないという指摘については、興味深く思われ、思索を深めるべきこと感じました。

wrote by m-hamada : 2010年08月01日 18:20