« 小泉今日子さんが書評の中で紹介していた言葉 | メイン | 作家・伊集院 静さんの言葉 »

2011年11月10日木曜日

『たけくらべ』の最後の十数行

 「たけくらべの最後は名文だ」とおっしゃる方があり、読んでみました。
 子どもから大人への変化の一面と、思春期の心の揺れ、幼なじみとの心の交流、そして、淡い恋心のようなものが感じられ、懐かしいような思いに。

 文庫本(新潮文庫)の巻末には、三好行雄さんの解説があり、樋口一葉さんが明治29年11月23日に25歳の若さで亡くなられたことと、その前のいわゆる“奇蹟の一年間”に『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』などの名作を発表されたことを知りました。
 「生涯の大半を不遇のうちに過し、名声のトバ口にたたずんだままで夭折(ようせつ)した」との三好行雄さんの言葉に、見事な表現だなあと感動しました。

 『たけくらべ』の最後の十数行は、以下の通りです。

 美登利はかの日を始めにして生れかはりし樣の身の振舞、用ある折は廓の姉のもとにこそ通へ、かけても町に遊ぶ事をせず、友達さびしがりて誘ひにと行けば今に今にと空約束(からやくそく)はてし無く、さしもに中よし成けれど正太とさへに親しまず、いつも恥かし氣に顏のみ赤めて筆やの店に手踊の活溌さは再び見るに難く成ける、人は怪しがりて病ひの故(せい)かと危ぶむも有れども母親一人ほゝ笑みては、今にお侠(きゃん)の本性は現れまする、これは中休みと子細(わけ)ありげに言はれて、知らぬ者には何の事とも思はれず、女らしう温順(おとな)しう成つたと褒めるもあれば折角の面白い子を種なしにしたと誹るもあり、表町は俄に火の消えしやう淋しく成りて正太が美音も聞く事まれに、唯夜な/\の弓張提燈(ゆみはりでうちん)、あれは日がけの集めとしるく土手を行く影そゞろ寒げに、折ふし供する三五郎の聲のみ何時に變らず滑稽(おどけ)ては聞えぬ。
 龍華寺の信如が我が宗の修業の庭に立出る風説(うはさ)をも美登利は絶えて聞かざりき、有し意地をば其まゝに封じ込めて、此處しばらくの怪しの現象(さま)に我れを我れとも思はれず、唯何事も恥かしうのみ有けるに、或る霜の朝水仙の作り花を格子門の外よりさし入れ置きし者の有けり、誰れの仕業と知るよし無けれど、美登利は何ゆゑとなく懷かしき思ひにて違ひ棚の一輪ざしに入れて淋しく清き姿をめでけるが、聞くともなしに傳へ聞く其明けの日は信如が何がしの學林(がくりん)に袖の色かへぬべき當日なりしとぞ。

 

wrote by m-hamada : 2011年11月10日 17:35